弘前市に帰郷して大事なものを見つけたとさブログ

13年間の東京生活を過ごし、弘前市に帰郷してきました。いろいろなことがあったけど大事なものを見つけましたとさブログ^^
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青森県弘前市で起業する訳?part3
弘前のとある病院に入院していた親父の姿は、長年パチンコの目の前で格闘していた親父の背中は猫背になり、点滴を手に打ち、寝ていると肺に負担がかかるらしく、テレビを呆然と眺めていました。
まぁ肺炎だけでおさまる訳もなく、諸々の病気が発覚することは、一家全員が理解していました。親父も自覚症状があるらしく、検査結果は見事に?的中していました。

人生を好き勝手に、わがままに生きてきた親父ですから、当然やり残したことは無いだろうと思い、一言だけ聞いてみました。
※以下、津軽弁()内は標準語

私『なんがやり残したことあるのが?(なんかやり残したことあるか?)』

親父『なんもねぇ。なんもねぇばって、もう一回3桁台の給料もらいてぇじゃ(何もない。何もないけど、もう一度100万円以上の給料をもらってみたい)』

さすが親父…最後まで現金に対して執着か…

でもこれには訳があるのは分かっていました。
好き勝手やってきた親父は、現在56歳。
仕事も以前よりもうまく軌道にのっておらず、まさか自分がこんなに早く体具合が悪くなるとは思っていなかったはず。
たぶん、お袋に何も残してあげられてない事が悔しくてしょうがないんでしょうね。


すいません。。理由になっていないかもしれませんが、その時に、弘前に帰ることを決めました。


私は現在、東京のとある会社で、取締役をしています。
私にとって、今いる会社で仕事をしている仲間を離れることは、正直号泣です。

【5年後の約束】
2005年、社長が就任した時に、交わした約束。
「2010年にみんなで飯食って笑って酒を飲もう。」

これだけのために今仕事をしていました。
言葉で表すと、24時間位はかかりそうなので省略しますが、色んなことがあって、この約束を社長と仲間と交わしました。

2010年、その約束を弘前から参加してもいいですか?


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青森県弘前市で起業する訳?part2
私が中学の頃だったと思います。
親父からこんなことを言われたことがあります。

『公務員の息子と、ゲーム喫茶の息子が、高校受験で同じ点数と取り、どちらかが入学できるボーダーラインにいたとしたら、どっちを入学させる?公務員の息子に決まってるよな。だから、お前はそれ以上に点数が良くないとダメってことだ』

子供ながらに衝撃的な一言でした。今でも鮮明に覚えています。
私が弘前市立第三中学校の1年生でした。
当時から、ゲーム喫茶は違法だったことを中学生ながらに気付いていましたし、何よりも親父が大好きだったので、この言葉は私の脳にある、反骨精神をくすぐり、相当なパワーになりました。でもまぁ、今思えば、ひどいフレーズですよね。。

親父よ・・・あなたは、なんでそんなに無邪気でポジティブ??

この親父を毎日見続けていると、常識という言葉がよく分からなくなることもありました。ここには書けないくらい、まぁ波乱万丈な行動をしていた人です。。。

これが良いキッカケ?だったか分かりませんが、当時偏差値的にも完全に無理だった青森県立弘前南高等学校に入学することが出来ました。
この頃には、ゲーム喫茶は引退(法律的には2年で時効)して、健康食品の販売で成功をし、やっとヤクザな世界からは引退していました。兄貴と私は、正直一般的な感覚が麻痺していましたから、ヤクザな世界から抜け出したことにあまり何も思っていませんでしたが、お袋は泣いて喜んでいたのが記憶にあります。

お袋よ、、よくぞ今まで親父と結婚生活を歩めましたね。。。

私のお袋は、本当に苦労の人でした。
どれくらい苦労の人かを説明するには、かなり長くなるので、一言で語りたいと思います。

⇒『栄養失調』

私が生まれて、バクチまみれになっていた一家の生計をたてるために、ろくに飯も食っておらず、『栄養失調』になったことも。。
お袋が泣いて喜ぶのも当たり前。親父の会社の売上もグイグイ伸びて、バクチからも足を洗い、約5年間一切やることは無かったです(ちなみにバクチに行きたのを我慢するために、私の大切なゲームボーイを奪われ、約2年間はテトリスにくびったけでした)。

弘前の千年という地域に家を購入し、二人の息子も仕事をし、さてこれからはゆっくりした生活を・・・と思う矢先、親父が倒れたがつい先日。

⇒『肺が真っ白』『他、諸々の病気…』

重度の肺炎だそうです。
あまりに白すぎて、レントゲンを取るのに約1ヶ月間の入院になりました。タバコを一日2〜3箱吸い、最近またパチンコを再開し、仕事をそっちのけ。罰があたったんでしょうね。

ちょうど、2週間ほど前に、弘前のとある病院に入院し、見舞いにいってきました。
初めて親父が小さく見えました。

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青森県弘前市で起業する訳?
弘前生まれの弘前育ちの私は、18歳から東京に上京しました。

現在、30歳。

その私が、訳あって弘前に戻り起業をすることになりました。

あまりに突然の決断?だったので

自分でも驚いています。

このブログを続けることで、自分なりに決断した経緯と

これからの事をこのブログで綴ってみようと思っています。


さて…

どこから書こうかな…

今回、弘前に帰ることになったのも、

私の大部分を占めている大切な家族のことが発端だったので

家族のことを踏まえつつ、私の幼少期から書いてみようと思います。


1977年11月弘前で生まれました。
私が生まれた翌月の12月から、それまでホテルマンとして活躍していた親父が退職をし、大町という弘前駅の近くの場所で、ゲーム喫茶を経営しました。
親父は、大のバクチ好きで、夜は徹夜マージャンをし、朝になると幼い頃の私と手をつなぎ、パチンコに行き、1台は私に座らせて、2台で毎日勝負。パチンコ店が閉店すると喫茶店に戻り、その日の勝ち金をレジに突っ込み、また徹夜マージャン。マージャンの点棒なんてみたことがありません。箱には現金がつまれていました。

その間、お袋は店を一人で切り盛りしていました。

当然、そのゲーム喫茶もバクチ喫茶。マージャン機・花札機・ポーカー機等々…お客さんは、機械に向かって鼻息を荒くし、沈黙な興奮をしている、特殊な雰囲気をかもし出す喫茶店でした。
私の幼少は、その喫茶店とパチンコ屋で毎日を過ごし、それが普通だったためか、なぜか心地良い気持ちでした。おそらく大好きな親父と毎日一緒にいれる喜びからだったんでしょうね。

こんな生活を送っていましたから、当然波のある生活。
正直、いま家族全員が生きているのが不思議なくらいです…

今考えると、異常な生活環境でした。自分の子供には決してそんな環境で生活はさせたくないです…

でもこれが普通だと思っていました。こんな生活でも毎日楽しくてしょうがなかったです。なぜなら、私の家族は笑顔だけは毎日絶やすことが無かったです。

それもこれも親父とお袋と兄貴が、私のことを大事にしてくれたからだと、今だからこそ、それを理解し、感謝しています。

今日はここまでにします。次回この続きを…

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